1835年に生まれた男がおカネの神様となって、最高額紙幣の肖像となっている
福翁自伝の中で、彼はこういっている
15,6歳のころ、「日本一の大金持ちになりたい」と兄に答えた
諭吉は、社主として新聞「時事新報」を発行した(注)
日清・日露の戦争をあおり、発行部数をのばして、大金持ちとなった
「支那と戦に及ぶこともあらば・・・真一文字に進みて其喉笛に喰付くこと緊要・・・北京是なり」(1995年 福沢諭吉全集 第8巻260ページ)
さらに「政府のお師匠さま」と自称して(1897年 全集第20巻414ページ)、対中15年侵略戦争を準備した
そして、いまや最高額紙幣の肖像画におさまって、満足している
しかしアジアの中で、日本が尊敬を得られない原因ともなっている
過渡的な現象なのだろう
(注)当初の福澤の計画では、政府の伊藤博文や井上馨の要請を受けて政府系新聞を作る予定であった(wikipedia)。 権力側によるメディアの取り込みの発想は、明治の当初から存在していた。
財政破綻で崩壊した徳川幕府、経済基盤を失った下級武士が士族(1869年全国民の3.9%、1876年5.5%)として政府や軍の要職を占め、新しい支配階級として、天皇を利用しながら立場を築いてゆく。今日の官僚社会の原型でもある。
⇒ 美空ひばりと福沢諭吉
wikipedia