多数党に有利な「選挙制度・大手メディアの報道」が、世論・選挙・政治をゆがめている!
NHK受信料はその「ゆがみ」に貢献している! (最高裁は、それを否定していない)
政治の民主化を!
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2010年5月17日月曜日
NHKと放送法(24) ─ NHKの歴史を貫く一本の糸
1933年当時の東京都港区芝・愛宕山の東京放送局(NHKの前身 wikipedia から 建物には JOAK の文字が見える)
戦前の日本放送協会(戦後の略称がNHK)は、治安維持法(1925年5月12日施行)下で生まれ(1925年7月12日、前身の東京放送局の本放送開始)、終戦まで民主主義弾圧・侵略戦争推進の協力者の役割を果たしてきました。(このことは、文化・技術面での一定の積極的な役割もあったことを否定するものではありませんが、本質を正しく見ることが必要です)
戦後では、国際社会の民主化の流れの中で、国連憲章・世界人権宣言と並んで、日本では日本国憲法(1947年施行)と放送法(1950年5月施行)が制定されました。 この時期は、戦後の混乱期ではありましたが、憲法と放送法自体は、民主主義を志向したものでした。
その後、冷戦の激化にともない、日本を占領・支配した米国は民主主義の立場を捨て、マッカーシズム、軍事対決路線、対日関係では日本に形の上の独立を与え、日本を西側陣営での米国の目下の協力者・極東の軍事基地化の政策をとるようになりました。
米国でのマッカーシズムにつづいて、日本ではレッドパージをおこない、対米従属を無期限に固定化する旧日米安保条約を押し付け、吉田茂がそれを受け入れました。
日本国憲法は、米国とそれに従属的に協力する国内支配層の要求で、明文改憲の動きと平行して解釈改憲がおこなわれ、警察予備隊が自衛隊に成長させられました。
この流れは2010年の現在も、自衛・対テロ・復興名目の自衛隊の海外派兵・米国の不正義の戦争への協力、日米安保・米軍基地・核兵器の容認、 密約の継続容認論・日米の価値観共通論などで、続いています。