山本宣治とその家族(1920年ごろ 山本宣治 から)
旧治安維持法は、1925年に公布されました。
第1条の条文は、以下のとおりです。
① 国体ヲ変革シ又ハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シ又ハ情ヲ知リテ之ニ加入シタル者ハ10年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス
② 前項ノ未遂罪ハ之ヲ罰ス
(治安維持法から)
「民主主義、主権在民がいい」と日記に書けば、この条文では有罪です。
② 日記に書いたことは、「結社の組織」の未遂にあたる
1928年、最高刑が死刑に改正されました。
旧労農党代議士・山本宣治は改正後、改正に反対したことで、右翼に短刀で刺殺されました。(1929年3月5日)
一方、日本放送協会の前進・東京放送局は、1925年愛宕山より中波の本放送を開始、1926年に日本放送協会がそれを引き継ぎました。
まさに、NHKは治安維持法の中で生まれ育ったことになります。 このことは、NHKの中には天皇中心の政治と日本共産党を敵視するDNAがあることが、その後の経緯からもわかります。
そのDNAを「目下の協力者」としての日本の間接統治のために、米国がうまく利用し、複数のルートを通じて、現在も利用しているといえます。
◆与党・多数党に対立する論点を持つ、少数党である日本共産党排除の放送がつづいていて、2010年の現在でもその傾向がある