東京裁判の判決を伝える新聞トップ記事
(朝日新聞 1953年11月23日)(wikipedia)
昭和天皇によるポツダム宣言の受託により、東京裁判が開かれました。
ポツダム宣言には、「日本国国民ヲ欺瞞(ぎまん)シ之ヲシテ世界征服ノ挙ニ出ヅルノ過誤(かご)ヲ犯サシメタル者ノ権力及勢力ハ永久ニ除去セラレザルベカラズ」の条件があります。
この条件によれば、昭和天皇および天皇制自体の権力および勢力は永久に除去されるはずでした。
昭和天皇は、ポツダム宣言受託のラジオ放送で「ここに国体を護持し得て」といtって、天皇制存続の希望を出したり、直接マッカーサーに会ったりして、なんとか東京裁判を逃れました。
東京裁判では、東条英機をはじめ、主要な責任者は刑を受けましたが、岸伸介は結果として裁判を逃れ、後に首相となって「核密約付き日米安保」の責任者となりました。 この密約は2010年の現在もまだ廃棄されていません。
昭和天皇から見れば、東条英機など刑を受けた人たちは、天皇の身代わりということにもなり、その刑を認めざるを得ません。 それがある意味では米国との了解だからです。
天皇が、A級戦犯を合祀したヤスクニ神社に参拝しないのは、その了解もあるからです。
昭和天皇(現天皇の父親)は、このことを含め、皇太子をどのように教育したのでしょうか?
多数党に有利な「選挙制度・大手メディアの報道」が、世論・選挙・政治をゆがめている!
NHK受信料はその「ゆがみ」に貢献している! (最高裁は、それを否定していない)
政治の民主化を!
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2010年5月18日火曜日
NHK と放送法(27) ─ 東京裁判
「東京裁判は、一種のリンチであり、負けた日本が一方的な 悪」という論点もある (www2.biglobe.ne.jp/~remnant/reki...hi07.htm)