チャップリンの『独裁者』(1940)の最後の場面、独裁者ヒンケルにそっくりで間違われて演説台に立たされた床屋のチャーリーの有名な演説です。(⇒ チャップリン「独裁者」のラスト・シーン
The Great Dictator- Globe Scene)
http://www.google.co.jp/firefox?client=firefox-a&rls=org.mozilla:ja:official から引用
この映画は、平和・人間に対する愛・民主主義を訴えたものでした。 また、1940年代、まだナチス批判が劇映画としてはなかった段階での最初のナチス風刺映画でした。 映画芸術としても、歴史の先見性を見せた点でも、歴史に残る映画です。
当初、「イギリス政府やアメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトは『独裁者』はアメリカの国益を損なうとしてチャップリンに対し圧力をかけた(wikipedia)」そうです。 旧ソ連に打撃を与えたいとの思惑から、ナチスを泳がせていたのです。
その米国は、を民主的な文化人をも対象とした「赤狩り」のマッカーシズムで、1952年、チャップリンを米国から追放しました。
この反民主主義の性格をもつ米国を、「日本と共通の価値観を持つ」というNHK解説委員がいます。
米軍基地の無期限の国内使用を認める密約的旧安保条約の発効は1952年でした。米国は、すでに「民主主義の国、自由の国」から反民主主義の国に変質し、日本を目下の協力者、日本の軍事基地化を目指していたのです。
そして、日本に残る皇室崇敬の感情を利用した日本の間接支配の道具として、NHKの「君が代」連日放送と、NHKの政府・与党偏重、対立する論点の徹底的排除の方針を残していったのです。
日本に、もしチャップリンのような芸術家がいれば、すばらしい映画を作ったことでしょうが、せいぜい米国の意向を理解する解説委員が生まれるようでは、悲しいことです。
⇒ Charlie Chaplin Tribute (Part 1)