「挽歌」とは、「柩(ひつぎ)」を引くときに歌う歌」が原義であると理解されている。
「挽歌」は、万葉集の3大部立てのひとつである。
その最初の挽歌が、巻二の課題歌(第141~145)である。
第141歌(以下略):
- 磐白乃 濱松之枝乎 引結 真幸有者 亦還見武
- いはしろの はままつかえを ひきむすひ まさきくあらは またかへりみむ
- ああ、私は今、岩代の浜松の枝を結んで行く、もし万一願いがかなって無事でいられたなら、またここに立ち帰ってこの松を見ることがあろう。
右の件(くだり)の歌どもは、柩(ひつぎ)を挽(ひ)く時作るところにあらずといへども、歌の意(こころ)を准擬(なずら)ふ。故以(ゆえ)に挽歌の類に載す。(右の5首挽歌ではないが、哀傷の伊があるので挽歌になぞらえてここに載せたものと解する[山田孝雄博士]) (日本古典文学大系・万葉集一・[岩波書店])
ここでは、「万葉集編纂者には一定の編纂の自由があった」と理解する。
- 本来の挽歌ではない歌を挽歌の冒頭歌に選んだ
- 冒頭2首は、政権抗争の犠牲者・有馬皇子の歌である(挽歌の名目を「政治問題の上位に置き、結果として政権抗争に対する批判をひそかに表現した)
- 挽歌冒頭5種の前後に、同じく権力により運命をもてあそばれた歌人・柿本人麻呂関係の歌を採録した(第131~140および146歌)。
冒頭5首につづく第146歌(のち見むと君が結べる岩代(いはしろ)の小松がうれをまた見けむかも)は、内容としては冒頭5首と同等であり、内容だけから見れば冒頭5首左註の対象とするべきである。
しかし、結果として[冒頭5首および左註+第146歌]となったのは、以下の理由によるものと理解できる。
- 冒頭5首を採録後、人麻呂の第146歌が見つかり、追加採録された
このことは、人麻呂が万葉集の編纂に直接かかわっていないことを示す。
同時に、編纂者が人麻呂の歌およびその精神を自身の理解と同程度に重視していることを示している。
以上の理由により、ここでは人麻呂と編纂者の精神の区別をせずに、それを同一として検討することとしたい。