[新日本古典文学大系 万葉集一](岩波書店)の冒頭に以下の記述がある。
契沖は、「仙覚の説をさらに詳細に述べ」「此の集万世マデモ伝ハリネト祝テ名ヅケタルカ」(契沖「万葉代匠記」[精選本])と説いた。
そして以下のように結論している。
ここでは、「万葉」は「よろづのことのは」と「よろづのよ」を掛けて、両方の意味を持たせて使われていると理解する。
さらに、「よろづのよ」には「万葉集」編纂以前の時代をも含み、「万葉集」は「後世を含め、身分を問わず、あらゆる時代のすぐれた歌を集め、「倭(やまと)の精神遺産」の記録としての歌集」との意味と希望をも持たせたものと理解したい。
その精神があるからこそ、巻一・巻頭歌の「雄略天皇の歌」が採用されたのではないか?
この歌の前半部分は、民謡として残っていた部分を、編者が権力者の立場を立てて「天皇」の歌の前半として掲載したが、その背景には「倭(やまと)歌」の源泉の一つである民衆に受け継がれた歌を、正当な評価と尊敬をこめて冒頭歌の前半部分に採録されたものと理解したい。
(参考: 万葉集・巻一第1歌)
巻一・第1歌(雄略天皇の作と記録されている)の前半部分は、以下のとおりである。
こもよ みこもち
布久思毛與 美夫君志持
ふくしもよ みふくしももち
此岳迩 菜採須児 家告閑 名告紗根
このおかに なつますこ いえのらせ なのらさね
(この部分は、三・四、五・七、五・五、五・五の美しいリズムをもっている。 五・七の主要リズム制はとっていないが、リズム固定化の前の段階のリズムであると理解できる)