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2011年6月9日木曜日
万葉集について
「万葉」には、「よろづのことのは」と「よろづのよ」の二つの意味が込められている。
万葉集の歌集名には「後世を含め、身分を問わず、あらゆる時代のすぐれた歌を集め、『倭(やまと)の精神遺産』の記録としての歌集」の意味と希望を持たせたものと理解できる。
また、「よろづのよ」には、倭(やまと)言葉表記・倭(やまと)歌の形式の確定に参画した渡来人・帰化人・その二世以降の「倭」での活動が文化的により重要であった、東アジアの人々と「倭(やまと)定住民」との協力の、万葉編集以前の時代をも含むとの意識も含まれていた。
「挽歌」は、「柩(ひつぎ)を引くときの歌」の原義より、より広い意味を持つ、「雑歌」と「相聞」とならんだ「部立て」の名称とされた。
万葉集編纂者の頭には、文字化ができず収録に失敗し、あるいは政変の中、失われた万葉集以前の膨大な歌と、倭(やまと)言葉表記システム確定の過程での「文字化の規則」の、記録として残っていない記憶がある。
挽歌とは、これらに関与した人々について、その正当な評価の気持ちも秘められていると理解できる。
記紀と同様に、万葉集には権力(天皇制)正当化の側面を持つ。
同時に、意識されてはいないが、はっきりと表明されている「権力および権力による抑圧への批判と抵抗、東アジアの中の「倭(やまと)」の意識、民族的精神遺産保存の主張、歴史の中で失われた歌への挽歌、平和と自由への憧れ」などの諸側面がある。
柿本人麻呂は、その精神を持っていたからこそ、処刑の運命を担うことになった。 あるいは、少なくとも自身の最後を知ることのできない立場を受け入れた。
人麻呂の歌は、現代でも最も人間らしい、人間の尊厳を自身の運命の上に置いた精神の反映である。 人麻呂を重視した万葉集もまた、その精神を重視しているといえる。
「日の本」から太陽は昇るとしても、万葉集の源流は西にもある。 さらに、その源は人類発生につながり、ヒトのDNA・諸文化の移動の長期の流れの中で、日本語や記紀・万葉などの古代記録は誕生した。 記紀・万葉などの文字記録は、日本人、日本語の誕生にも関する課題をも提供している。
(⇒ 詳細説明)