「天皇のタバコの火を付けたとき、天皇の手が震えているのに気がついた」(『マッカーサー回想記』より)の記述もある。
このとき昭和天皇の「終戦のラジオ放送」での「ここに国体を護持し得て」の意味が話しあわれた可能性があるが、『マッカーサー回想記』には直接の詳しい記述はない。
昭和天皇と靖国問題:
昭和天皇およびその子・孫を含む天皇家全体もA級戦犯の合祀以降の参拝を止めている(wikipedia 靖国神社問題)。
1988年当時の宮内庁長官であった富田朝彦が、昭和天皇の発言・会話を手帳にメモしていた(日本経済新聞 2006年7月20日)。 この富田メモには、昭和天皇がA級戦犯の合祀に不快感をもっていたことが明確に記されている(同上)。
私は 或る時に、A級が合祀されその上 松岡、白取までもが、
筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが
松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と
松平は平和に強い考があったと思うのに 親の心子知らずと思っている
だから私 あれ以来参拝していない それが私の心だ
(つづく)