第2次田中内閣の通産大臣・中曽根康弘氏は、参議院内閣委員会で「イラン首相に『日本は王制の国』と返事をした」と発言しました(1973年6月5日 13日には遺憾の意を表明)
雑誌「正論」(1997年7月号)によると、「中曽根康弘氏は、三十代から四十代にかけて憲法を本格的に研究し草案づくりに取り組んだ」とのことですが、「憲法を本格的に研究」した結果が、「日本は王政の国」というのでは、あまりにも幼児的ではないでしょうか?
その幼児性が「高度民主主義民定憲法草案」、いわゆる「中曽根憲法私案」をまとめているのですが、そこにはユニークな項目も多いそうです。 たしかに、そこには「王制」は認められていないので、ユニークではあります。
その後「本格的な研究」を深めて、「日本は王政の国」という結論に達したのでしょうか?
それとも、年を逆にとったのでしょうか?
その亜流が、現・鳩山首相(改憲論者)ですが、日本の政治家のレベルも困ったものです。