「17年半もの長きにわたり自由を奪う結果」をもたらせた責任の大きな部分には最高裁判所もあります。
しかし、最高裁判所が頭を下げて謝罪したということは聞きません。
なぜ、そうなのか?
- 警察・検察・裁判所は、司法として権力構造の重要な一部である
- 権力が一部の者に集中しているときには、権力は多数の人々を押さえつける役割をする
- 押さえつける側が、押さえつけられる側に頭を下げることは、自己矛盾となる
- このリクツを守るためには、頭はさげられない
権力が少数の者から多数の人々の側に移動してゆく ─ その過程、社会が変革する過程、それが歴史の過程でもあります。
権力が、多数の人々の側に移動したとき、最高裁は多数の人々を押さえつけたことを多数の人々に謝罪しなければならなくなります。
そのときが来ることを、横浜事件や足利事件が示しています。
(その前の段階で、NHKや報道が放送法や自己基準に反して、権力の側に偏していたことを謝罪する段階もあることでしょう)