核密約温存は、悪質な歴史の偽造 ─ 歴史の偽造が日本の伝統的な文化なのだろうか?
この「悪質な歴史の偽造」をいかに「偽造ではない」として隠し通すか、この技法には、「明治政府の機密文書保管の規定」にも起源があり、外務省には密約文書などの一部機密文書は公館外に保管する規定ないし原則あるいは不文律があることがあきらかになっています。
「機密文書」は、下記により保管すること:
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- この「外務省・機密文書保管規定」の存在は、以下により判断できる。
日露国交断絶公文手交の訓令電報・1904年2月5日小村外務大臣発在露栗野公使宛公電第54号 後半(http://www.jacar.go.jp/nichiro/komura_telegram_02.htm 外務省外交資料館蔵 下線部クリックで写真コピー)に以下の記述がある。
原 文:貴館ニ於ケル機密書類始末等事ハ挙テ貴官ノ御裁量ニ一任ス
口語訳:貴公使館における機密書類の始末についてはすべて貴官の御裁量にお任せします。
(口語訳は、国立公文書館アジア歴史資料センターによる) - 上記は、日露戦争開戦時、小村寿太郎外務大臣からロシア特命全権公司宛「国交断絶公文書をロシア側に手交後すぐにロシアの首都を引き上げること」を指示し、その際の機密書類の処分について触れたものである。
これにより、「機密書類」には「公館内に保管するもの」と「公館外に保管するもの」の2種類あり、その相互移動あるいは破棄もあることが当然の前提になっていたことがわかる。 - この1904年に有効であった「外務省・機密文書保管規定」は、それ以後廃棄し無効にするという決定はなされていないので、2010年の現在も有効であるといえる。
- しかし、1904年時点では外務大臣が公電により確認していることから、外務大臣レベルの規定であったが、それ以後、より下のレベルまでの規定になったらしい。
- 「密約」問題に関する「有識者委員会」の調査は、外務省公館外に保管されている機密文書については必要な調査をおこなっていない。
岡田外務大臣は、このことを知らないのか、知っていて知らないフリをしているのか? それとも、わからないのか? あるいは、外務省内部の機密文書保管の問題では館外保管については権限がないから調べられないというのか、真実はどこにあるのでしょうか?