現代では、一国の主権が世襲制によりひとつの家族に伝えられる制度は、例外的だ。
この制度は、古代エジプトなど古代社会では当たり前の制度であった。
北朝鮮では、金日成(キム・イルソン)、金成日(キム・ジョンイル)、キム・ジョンウン の実質世襲制が現存していて、その政治体制も民主主義からは、ほど遠い。
日本では、1945年までは、憲法上も北朝鮮以上の古い体制をもっていて、明治以来、植民地・侵略戦争政策をつづけてきた。
1945年の敗戦では、民主化は果たされず、憲法上の天皇の世襲制に象徴されるように、侵略戦争の清算がおこなわれないまま、対米従属・戦争勢力・財界優先の政治が残されている(2010年時点)。
日本と北朝鮮の差は60数年である。
数千年の人類の(文字の)歴史の尺度からみれば、60数年は1パーセント程度であり、誤差の範囲であるといえる。
その点では、北朝鮮と日本は、歴史上まれに見る遅れた社会であるといえるのではないか?
遅れた社会性は、どんなところに現れているか?
◇主権のおよばない、外国軍事基地の存在
◇生産の成果物が、大企業に内部留保として蓄積され、一方では税収の何十倍ともなる国債・地方債や特殊法人の赤字など、財政危機化が極度に進行していること
◇若い人の生活・将来に希望がもてないこと
◇女性の社会進出においても、欧米や一部のアフリカ諸国より非常に遅れていること
◇選挙制度や、マスメディアが多数政党に有利に運営されていて、世論・選挙をゆがめていること
このような社会に発展性はあるのか?
おそらく、政治・経済の大きな改革なくして、発展は考えられないのではないか?
その改革は、社会のゆきづまりの進行と逆比例して要望されるようになるし、現実の社会もそう動いているので、希望はあるといえる。
その速度は、国民の自覚の程度によるのではないだろうか?