「かな」の発明は、それより2000年以上前に発明された輸入先端技術「漢字」のローカル化です。
その中で生まれた人麻呂の歌は、日本史に残るレベルの高いものでした。 混乱の時代に翻弄される人間の運命を歌ったものです。
人麻呂の亡くなった場所の特定はできませんが、その歌は21世紀の人間の心に響いています。 現在、まだ人麻呂のようなアーチストを得ていません。
しかし、それでも何人かのすぐれた芸術家を得て、勇気となぐさめを得ています。
「おい、地獄さ行(え)ぐんだで!」(小林多喜二「蟹工船」の書き出し)
「そして、彼らは立ち上がった。 もう一度!」(同上 終わりの部分)
やわらかに 柳あおめる 北上の岸辺目に見ゆ 泣けとごとくに (石川啄木)
人麻呂や、多喜二、あるいは啄木のような、時代と闘い、時代を超えた洞察力をもつ作家を、私たちは待っています。
しかし、ITの時代に日本が残したわずかな実績は、すでに古くなったゲーム機と「ワープロ」であり、石器時代のサイコロあるいは、ローマの競技場よりも価値の低いものであるのは、残念なことです。
私たちの実績は、石器時代の未加工な石ぐらいのものとして残されるのでしょうか? (視聴者の組織化を果たしてもよいのではないか?)