キッシンジャー:「日本が核を保有しても、驚かない」
キッシンジャーの略歴:
- 両親ともにドイツ系のユダヤ人
- 1923年生まれ。 1938年にアメリカへ移住
- 第二次世界大戦にはアメリカ軍情報部の下士官として参戦。 ハーバード大学に進学、中曽根康弘を含む国際的人脈をつくる
- 1968年の大統領選挙は共和党の大統領候補指名選に立候補したネルソン・ロックフェラーの外交顧問
- リチャード・ニクソンから直々のスカウトを受け、政権誕生とともに国家安全保障問題担当大統領補佐官として政権中枢に入り、外交全般を取り仕切る
- ニクソンとキッシンジャーは、国家安全保障会議(NSC)の組織・制度整備を推し進め、外交政策決定機関として確立させる
- 1971年にはニクソンの「密使」として、米中和解への道筋をつける
- 1968年、ジョンソン政権末期、米国の対ベトナム侵略戦争に関する和平交渉妥結を成功させた。(これを功績としてキッシンジャーはノーベル平和賞を受賞、北ベトナム側の代表レ・ドゥク・トは受賞を辞退)
- 以後、デタント政策を推進(批判的なドナルド・ラムズフェルドなどとは閣内で対立)
- 1977年、国務長官を退任後ジョージタウン大学戦略国際問題研究所(CSIS)に招かれ、在職中次々と政権時代の回想録を発表
- 1982年、国際コンサルティング会社「キッシンジャー・アソシエーツ」を設立
- ニクソン以降のアメリカの歴代大統領をはじめとする世界各国の指導層と親交を持っており、国務長官退任から30年以上たった現在でもその国際的影響力をもっている
- ジョージ・W・ブッシュ政権において指南役としてイラク戦争を基本的に支持。 (wikipedia より)
以上の経過を見れば、1939年から1945年にかけ、ドイツ、イタリア、大日本帝国の三国同盟を中心とする枢軸国陣営と、イギリス、フランス、アメリカ、ソ連、中華民国などの連合国陣営との間で戦われた全世界的規模の戦争・第二次世界大戦以降の「ジャパン・ハンドラーズ」の目に見えない上部組織が見えてきます。
キッシンジャーは、その目に見える顔の一つであり、「ジャパン・ハンドラーズ」の目に見えるメンバーの一員であることが推測されます。