- 憲法で「財政の国会中心主義」(83条)をうたい、財政法では「国債の日本銀行引き受け禁止」を決めた。
憲法は、税金だけで国家の財政をまかなう「租税国家」をうたっている。 - 1949年以来、均衡財政主義・財政規律を守ってきた。「歳入欠陥が生じたときに、国債でまかなってはいけない」(赤字国債の発行の禁止)とされてきた
- 東京オリンピックによる好景気の反動で、歳入に生じた欠陥を埋めるため「1965年度における財政処理の特別措置に関する法律」が公布施行され、1965年度かぎりの臨時特別措置として、収入の減少見込み額2590億円の範囲内で「赤字国債」を発行することになった
- 10年後の1975年からは国債の大量発行が始まり、10年後の1985年から赤字国債の償還が始まるはずであった。それまで赤字国債は、当該年度中に返すのが大原則。 しかし、1984年に「1984年度の財政運営に必要な財源の確保を図るための特別措置等に関する法律」によって国債の償還は 1985年まで延長された。
- 60年償還ルールを採用すると、例えば、償還期限10年の国債の場合ならば、10年たった時に全額の6分の1だけを現金で返済し、残りの6分の5は赤字補填のための借換債を発行してまかなうことができる。
- 借換債は民間では粉飾となるため原則としておこなわれていない。財政特例法にも「借り換え発行はしない」と明記されていた。
しかし、大蔵省は国会や国民に十分な情報開示もしないまま、憲法と財政法を無視して「借換債」という償還の先送りをおこなった。
このときから赤字国債増発を抑える歯止めがなくなってしまった。 - 借換債を返済するために、また新たな借換債を発行するという借金地獄にはまってしまった。国債発行額や国債費は予算書に計上されるから国民の目に触れるが、借換債は予算書はもとより、どこにも現れていないので、批判の対象になることがない。
- 国債の60年償還(注)と借換債は「ご都合主義」によるルール変更であり、結局は問題を先送りにし、一方的に負担を将来世代に強いらせるものであった。
- 【※1】財政法4条
1.国の歳出は、公債または借入金以外の歳入を以って、その財源としなければならない。但し、公共事業費、出資金及び貸付金の財源については、国会の議決を経た金額の範囲内で、公債を発行し又は借入金をなすことができる。
2.前項但し書の規定により公債を発行し又は借入金をなす場合においては、その償還の計画を国会に提出しなければならない。
3.第1項に規定する公共事業費の範囲については、毎会計年度、国会の議決を経なければならない。
(注)国債の60年償還:
1985年の特例法から、赤字国債も建設国債と同じ60年償還になったのです。この犯罪的ともいうべき決定をしたのは時の中曽根首相であり、竹下蔵相です。赤字国債に借換債を認め、60年償還ルールを適用するなどということは他国に例を見ないのです。
そもそも戦後日本が赤字国債を発行したのは、1965年度の補正予算からです。この年はいわゆる「40年不況」で、税収が大幅に減ったのです。そして、翌年の1966年度からは建設国債を発行するようになり、国債発行政策をはじめたのです。
なぜ、国債発行政策をとったかというと、GDP成長率が鈍化して税収が伸び悩み、その一方において公共投資の必要性があったからです。
しかし、赤字国債についてはその後1974年度までは発行していないのです。さすがに赤字国債は一時的なものとすべきであるというまともな考え方が当時はあったからといえます。
ところが1985年からは、建設国債と赤字国債は、償還期限が同じになったので、その根拠法と発行対象の違いはあるものの区別する必要性はなくなってしまったといえます。 (http://www.rui.jp/ruinet.html?c=400&i=200&m=204080)