ローマは、都市国家連合から「多民族・人種・宗教を内包しつつも大きな領域を統治する国家」へと成長を遂げた
4世紀、首都をローマからコンスタンティノポリス(コンスタンティノープル)へ移し、同世紀末に東ローマ帝国と西ローマ帝国に分裂した
476年に西ローマ帝国は滅亡、東ローマ帝国も7世紀以降は領土を大きく減らし、1453年には滅ぼされた
「ローマ帝国の滅亡」とは、476年の西ローマ帝国の滅亡を指す
その要因は、何か?
- 「ゲルマン民族の大移動」と呼ばれる、支配地およびその周辺民族の抵抗
- アングロ=サクソン族によるブリタニア(イングランド)での抵抗
- 剣闘士や奴隷の抵抗
- 財政危機化の深化
- 愚民化政策による社会の腐敗化の深化
- 気候変動によるヨーロッパ全体の食料の継続的不作
一国先制攻撃主義とその植民地・日本、その歴史は、ローマ帝国滅亡の道を進んでいる