福沢諭吉の「時事新報」。「日清の戦争は文野(ぶんや。文明と野蛮)の戦争なり」と題する社説を掲載した(1894年7月29日)。
「日清戦争の勝利は日本に、アジアは遅れているという認識を根付かせた。蔑視(べっし)感情も広がった」 その意識は10年後の日露戦争でさらに強まり、中国侵略に踏み出す行為につながる。
この指摘は、正しいと思います。 同時に、現在一万円札に諭吉が印刷されていることは、上記の歴史の認識・反省がないことをも示しています。
諭吉は、日本の文字が中国から(海と朝鮮半島を通して)もたらされたことを知っていたのでしょうが、意味は理解していなかったのでしょう。
諭吉と咸臨丸に同乗していた勝海舟は、日清戦争に反対していたといいます。
機会を見て、その日記を確認しておきたいと思います。