東京地方裁判所(裁判長判事・伊達秋雄)は、1959年3月30日、「日本政府がアメリカ軍の駐留を許容したのは、指揮権の有無、出動義務の有無に関わらず、日本国憲法第9条2項前段によって禁止される戦力の保持にあたり、違憲である。したがって、刑事特別法の罰則は日本国憲法第31条に違反する不合理なものである」と判定し、全員無罪の判決を下した(東京地判昭和34.3.30 下級裁判所刑事裁判例集)ことで注目された(伊達判決)。 ─ wikipedia |
「米軍違憲」破棄へ圧力 砂川事件、公文書で判明 米軍の旧立川基地の拡張計画に絡む「砂川事件」をめぐり、1959年3月に出された「米軍駐留は憲法違反」との東京地裁判決(伊達判決)に衝撃を受けたマッカーサー駐日米大使(当時、以下同)が、同判決の破棄を狙って藤山愛一郎外相に最高裁への「跳躍上告」を促す外交圧力をかけたり、最高裁長官と密談するなど露骨な介入を行っていたことが29日、機密指定を解除された米公文書から分かった。 「米軍駐留違憲判決」を受け、米政府が破棄へ向けた秘密工作を進めていた真相が初めて明らかになった。内政干渉の疑いが色濃く、当時のいびつな日米関係の内実を示している。最高裁はこの後、審理を行い、同年12月16日に1審判決を破棄、差し戻す判決を下した。 公文書は日米関係史を長年研究する専門家の新原昭治氏が今月、米国立公文書館で発見した。(共同) 2008/04/29 20:58 【共同通信】 |
この経緯は、日本の憲法裁判をも米国が秘密裏に左右する権限を持ち、歴代の政府・与党を中心とする戦後の日本の権力機構に属する人たちが、その関係の中でメシを食べてきたことを示しています。
さらに、その根源には、戦後冷戦激化の中、米国が日本を目下の協力者として、形の上の独立を与え、皇室やマスメディアを利用した間接支配をねらったサンフランシスコ講和条約と(旧)日米安保条約(注)があります。
(注)ともに、1952年4月28日発効。 同日、NHKによる番組終了後「君が代」の連日放送が開始されたが、それは、憲法の「思想・良心の自由」と、放送法の「政治的に公平な放送」を無視した放送であり、それが2010年の現在までつづいている。
注意するべきことは、伊達判決破棄をねらった日米の秘密工作がおこなわれた時期(1959年)が、下記時期と一致していることです。
◇「密約付き・現行日米安保条約」の交渉時期(2010年現在有効)
◇特定政党の排除を可能としたNHKの「国内番組基準(第2章第5項[報道番組])」の制定(同上)