アグネス・スメドレー撮影 「同志・毛沢東」 延安 1937 wikipedia |
「敗戦後わずか五年で、ふたたび戦争の危機がせまってきた」
遠山茂樹「明治維新」(1951)について、著者が後に書いている。
戦後5年、アメリカではマッカーシズム、日本ではレッドパージの「赤狩り」の最中であった。
アメリカは、連合国としてファシズムと戦った積極的役割と、「反共の戦士・思想信条の自由否定」という反民主主義の側面をもっていた。
前者の側面は、世界人権宣言・国連憲章の成立に協力したが、後者の側面はその否定の上に立っていた。
後者の側面は、スターリンの「社会主義の看板を掲げた非社会主義」への対抗という性質ももっていた。
逆に、スターリンの非社会主義は、資本主義包囲の中、スターリンの誤った指導の側面もあった。
2010年の現代は、まだこれらの歴史の負の遺産の名残はあるが、新しい動きも始まっている。
敗戦後5年、この間に日本国憲法が国民により確定され(1946)、放送法も制定された(1950)。
前者に影響されたこの2つの重要な法律は、その後、後者とその追随者によって軽視・無視されている。