(日米関係の歴史にとって重要な資料であるので、掲載させていただきます。 時事ドットコム沖縄と米国海兵隊【1】)
ペリーの「黒船」で来た海兵隊
米国海兵隊と沖縄の関係は意外に古い。最初の出会いは、琉球王国時代の1853年5月で、日本はまだ江戸時代だった。「黒船」と呼ばれた軍艦4隻を率いる米国のペリー提督が日本本土に向かう途中、補給のため沖縄に立ち寄り、艦隊に所属する海兵隊2個中隊がペリーに随行して那覇に上陸したが、それは決して友好的なものではなかった。
ペリーは日本の開国実現に強硬手段も辞さない覚悟で、江戸幕府に圧力を掛けるため沖縄を武力占領する意図さえあったとされる。琉球王国政府に対し補給物資を求める姿勢も、極めて高圧的だった。
ペリーに付き添った海兵隊は砲2門とともに那覇港から首里城まで行進し、米国の近代的軍事力を琉球王国政府と住民に見せつけた。当時の琉球王国には米国に対抗できる武力はなく、ペリーの要求に応じて補給品を提供せざるを得なかった。結果として武力占領は逃れたものの、沖縄と米国との関係は極めて不幸な形で始まったと言える。補給を終えた艦隊は日本本土に向かい、同年7月、ペリーが開国を求める大統領親書を手渡すため久里浜に上陸した際も、護衛部隊として海兵隊が同行した。