1954年の皇居一般参賀で将棋倒し 16人が死亡 wikipedia |
◆ 要因: 重なる農民一揆・財政破綻・欧米による市場開放の圧力で幕府が崩壊した。
◆ 形態: 録を失った人口比5%ほどの下級武士が、結果として天皇を押したて、政府・軍・教育などの分野で主導権をとり、近代化・資本主義化を進めつつ、天皇中心の支配体制を確立した。
◆ 対外路線: 侵略による経済問題の解決(「征韓論」)など、後の東アジア侵略路線の基礎が作られた。 福沢諭吉は、教育・報道を通じてその路線の強化に貢献した。
◆ その後の影響: 日清・日露・対中侵略15年戦争・太平洋戦争と一連の戦争路線がとられ、それを大手報道機関が政府代弁・国民だましの協力で支えた。 1945年の敗戦で、一応の侵略戦争路線の終わりを迎え、日本国憲法、放送法などが確定した。
憲法では、九条による恒久平和、国民主権、基本的人権などの原則が確定され、全体として戦争の反省が反映された。しかし、昭和天皇を極東軍事裁判からはずし、政治権力はもたないが「象徴天皇」が制度化された。 放送法には、放送の民主的原則が規定された。
その後の歴史経過
その後の支配権力は、1952年までは米国を主力とする連合軍、それ以後は米国を主人とする対米従属路線で復興を果たす財界・大企業がにぎった。
「独立」は、形の上であり、米軍基地の無期限使用・日本の極東軍事基地化がセットの密約的日米安保が強制され、その体制維持のため天皇制が利用された。 1952年4月28日のサンフランシスコ条約発効の日から、NHKの放送終了時連日の「君が代」放送が開始された。
NHKをはじめとする大手メディアが、本社家屋の国有地払い受け、関係者の官房機密費の受け取りなど、権力との癒着・妥協体質による体制維持の姿は変わっていない。
大手メディアはもとより、1989年(平成元年)から2010年までの22年間に16人の総理大臣が勤めることになるなど、政治とカネ・財界と大企業優遇・対米従属・密約など国民だましが政治を支配し、独立と民主主義は、十分ではない。
NHKの解説委員は、この状態を「共通の理念があるから、日米両国の同盟が重要」と主張し、対立する論点を排除することにより放送法に違反しつづけている。
全体として憲法の軽視・無視がつづき、その結果、財政・年金の危機化がすすみ、日本は世界史の民主化の動きから大きくおくれはじめている。