遠山茂樹「明治維新」から:
- 天保(てんぽう 文政の後、弘化の前、1830年から1843年)14年間の百姓一揆は年平均25.6
慶応(元治の後、明治の前)2年(1866)の一揆は72件、都市民のうちこわしは、28件 - 「明治維新」は、ペリー来航以降の安政年間(1850年代後半)からはじまった。
- 欧米列強の外圧: イギリスの外交政策は、貿易第一主義。 17世紀の対印政策と19世紀50-60年代の対日外交は、単純に同じではない。どの国との貿易も制覇する高い工業力をもっていた。市場開放をさまたげる場合は、武力を行使した。
- 日本と中国の違い: 基本的には共通の外圧のもとで、日本は制約を受けつつも独立と近代化を一応達成した。中国では、半植民地化の道をとらされた。
中国では、民衆の排外運動が起こった。日本では、幕末の農民一揆が反封建闘争に集中した。
外圧の度合いは、中国の場合はより強く直接的であり、十数年早く始まった。イギリスの外交・軍事政策が、中国・インドの民族運動の反抗を引き起こし、アジアでの軍事力の大部分をそこに割かざるをえなかった。 - 明治維新は、封建社会から資本主義社会への転換の開始、改革のはじまりという内容を含んでいる。
- 明治維新は、天保期(1830-1843)を序幕として、嘉永6年(1853)のペリーの来航に始まり、明治10年(1877)の西南の役をもって終わる、24年間の絶対主義形成の過程である。それは、帝国主義への転化のはじまる世界資本主義体制の一環であり、15・16世紀西欧の絶対主義形成とは異なっていた。
- 明治憲法発布によって、国家機構はととのえられ、日清戦争における軍国主義の強化によって、天皇制が最終的に確立した。
- 天皇制の成立を、形成期と確立期に分けて、形成過程を明治維新と考え、その終期を明治10年(1877)とする。
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