「囲碁はチェス競技の一つ」ではなく、「囲碁は頭脳スポーツの一つ」が正しいとは思いますが、まだ「頭脳スポーツ」の概念が初期段階であることの反映でしょう.
では、将棋は頭脳スポーツではないのか? 頭脳スポーツではあるが、囲碁ほど国際的ではないということか?
実は、囲碁よりチェスの方が国際的なのです.
チェスはインドで生まれ、ペルシャ(現在のイラン)を通って、一方ではヨーロッパに渡り、チェスとして確立しました.
また、他のルートとして中国に渡り、中国将棋・シャンチーとなり、シャンチーは囲碁と並んでアジア大会の競技となりました.
一方、日本の将棋はルールや形態としてはチェスにより近いのですが、日本独自のローカルな競技になっています.
将棋が国際社会では、ローカルなゲームであるとはいっても、国際的な面もあります.
米国のチェス・プレイヤー、ボビー・フィッシャーは、1972年旧ソ連のチェス・グランド・マスター、ボリス・スパスキーからタイトルを取りました. 彼は、1992年、ユーゴスラビアでスパスキーと再現試合を行ない、勝利しましたが、アメリカのユーゴスラビアに対する経済制裁措置違反として起訴され、米国のパスポートを失効させられてしまいました.
2004年(小泉政権)日本に滞在していたフィッシャーは、米国に遠慮した日本の政権により日本からも追い出されてしまいます. このとき羽生善治前名人(当時)は、フィッシャーの日本滞在を認めるように小泉首相にメールを送った話は有名です.
このように、日本の将棋も羽生名人を通じてチェスとの国際的なかかわりはあります. しかし、将棋はシャンチー(中国将棋)よりもルール上はチェスに近いにもかかわらずよりローカルな立場にあります.
これは、日本人・日本文化の独自性というよりローカル性によります.
日本将棋連盟現会長・米長邦雄氏は、2004年東京都教育委員をしていました.
2004年10月28日、
園遊会における天皇と米長邦雄氏の会話です.
米長 「日本中の学校に国旗を上げて国歌を斉唱させるというのが私の仕事でございます」
天皇 「やはりあの・・・、その、強制になるということでないことがね」
米長 「ああ、もう、もちろんそうです」
天皇 「望ましいと」
米長 「ほんとにもう、すばらしいお言葉をいただきましてありがとうございました」
天皇 「どうぞ元気で」
米長 「はい、ありがとうございます」
米長氏のホームページには、園遊会の翌日の日記があり、天皇と交わした対話を紹介しています.
「現役はやめました。将棋盤を挟んで親子が楽しんでいる家族は幸せだと思います。将棋の普及に務めております。陛下のお正月の昭和天皇と皇太子殿下とご一緒の写真は大切な我が家の宝でございます」
「あの、もう随分前のことになります」
「教育委員として本当にご苦労さまです」
「はい。一生懸命頑張っております」
将棋連盟の会長がこのような状態では、将棋はローカルにとどまると考えられてしまいます.
(実は、将棋はその発達の結果としてあまりにも専門的になりすぎたこと、名人戦などで、畳の上で座って対戦することなどの要素で、国際的にはなりにくいのですが、それはそれでよいのではないでしょうか?)