略奪や、暴力集団に秘密警察の身分証をもっている者も暴露されています。
このように、民主化運動には、追い詰められた内部あるいは外部と結びついた反革命勢力が、暴力を使うことがめずらしくないことはよく知られています。
1918年から1922年までの間に、連合国(大日本帝国・イギリス帝国・アメリカ合衆国・フランス・イタリアなど)が「革命軍によって囚われたチェコ軍団を救出する」という大義名分でシベリアに出兵した、ロシア革命に対する干渉戦争の一つであるシベリア出兵も、そのひとつです。
- 日本は兵力7万3000人(総数)、4億3859万円から約9億円(当時)という巨額の戦費を投入。3333人から5000人の死者を出し撤退した
- 当時の日本側の事情として、領土獲得への野心、日露戦争後に失った利権の奪還、地政学的な理由(日本はロシアと地理的に近く、さらに日本の利権が絡んだ満州、日本統治下の朝鮮半島は直接ロシアと国境を接していた)等のみならず、政治的・イデオロギー的な理由もあった。すなわち、日本の政体(国体)である天皇制と革命政権のイデオロギーは相容れない以上、共産主義が日本を含めた同地域に波及することをなんとしても阻止する必要があった
- 日本陸軍は当初のウラジヴォストークより先に進軍しないという規約を無視し、ボリシェヴィキが組織した赤軍や労働者・農民から組織された非正規軍たるパルチザンと戦闘を繰り返しながら、北樺太、沿海州や満州を鉄道沿いに侵攻。シベリア奥地のバイカル湖東部までを占領し、最終的にバイカル湖西部のイルクーツクにまで占領地を拡大した。各国よりも数十倍多い兵士を派遣した。各国が撤退した後もシベリア駐留を続けたうえ、占領地に傀儡国家の建設を画策。日本はロシアのみならず、イギリスやアメリカ、フランスなどの連合国からも領土的野心を疑われた
- 1921年のワシントン会議開催時点で出兵を続けていたのは日本だけであった
(Wikipedia)
エジプトでも、国営放送は民主化運動の報道ではなく首都カイロの静かな有様を放送しているとのことです。
日本の民主化運動において、NHKなど放送局はどのような態度をとるでしょうか?
民主化の側なのか、権力側なのか、どちらでしょう?
おそらく、かってのソ連・東欧諸国や、現在のエジプトのように、内部で国民の側・権力の側どちらにつくのかの激しい争いが、見えない形でたかかわれることでしょう!
そのとき、国民がどれだけ広く民主化の活動をしていたかが問われることとなります。