元禄丁銀 | このため、外国人商人が1ドル銀貨をまず一分銀3枚に交換し、両替商に持ち込んで4枚を小判に両替して、国外に持ち出し地金として売却すれば莫大な利益が得られることとなった。地金としての1両は4ドルに相当する。従って、1ドル(メキシコドル)→3分(一分銀)→0.75両(天保小判)→3ドル(20ドル金貨)と、両替を行うだけで利益を上げることができた。実際には、安政6年5月25日(1859年6月25日)の触書の中で、その当時小判として最も多く流通していた天保小判は一分銀5枚の増歩通用とされ、さらに市場においては小判1枚との交換に対し一分銀6枚と増歩を要求される状況で、さらに9月ごろには8〜9枚と跳ね上がった。それでも一年間にこのような両替を5~6サイクル程繰り返し、利益を上げることが可能であったという。結果、大量の金(小判)が海外に流出することになる。 なお、ハリス自身もこの両替によって私財を増やしたことを、日記に記している。 wikipedia |
その条約は、日本の国際通商経験の未熟をついた「だまし」の条約であり、幕府崩壊・明治維新の遠因ともなった条約であった!
その後、約90年、1952年に米国は日本に「基地の無期限使用・日本の極東の軍事基地化」を含む不平等・安保条約を押し付けた
吉田茂は、国際経験もあり、不平等だということは知っていたが、国民をだまし、自分がメシを食べる道を選んだ
圧力のもと、やむをえないとも見えるが、その後のNHKなどの報道や、政権党の見本となってしまった
放送法は、その条約を準備する過程、米国が冷戦下、民主主義を放棄の政策をとり始めた1950年に制定された
皇室を利用しつつ、日本の間接統治に転じた米国にあわせて、NHKは「君が代」の放送終了後の連日放送を開始したのだった
1952年4月28日、不平等安保条約発行の日である
皇室利用の国民だましの例でもある