晩鐘 1857-59 オルセー美術館
落穂拾い 1857 オルセー美術館
羊飼いの少女 1864 オルセー美術館
などが有名
代表作のひとつ『種まく人』は、岩波書店のシンボルマークとして採用された[1933年(昭和8年)]のことであった。1977年(昭和52年)、その『種まく人』がサザビーズのオークションで競り落とされ、日本に請来された時は大いに話題になった.(以上 wikipedia より)
NHK新日本美術館「山梨に世界有数ミレー館誕生」(2/1)で、紹介された. ミレー晩年のことば:
(ミレーの絵は)大地に生きる農民による、自然と向き合う真摯な気持ちによって、生み出された ・・・
伝統的なものの最後、あたらしい印象派のはじまり ・・・
自然そのものに対する畏敬の念、おそれの気持ち、農民はその自然に対抗しなければならない ・・・ ミレーの絵は、その中から生まれた ・・・
(山梨美術館館長さんの解説から)
ちなみに、1914年(ミレーの生誕100年後)は日本が、朝鮮半島を武力で植民地にした(1910年)あと、第1次世界大戦が始まった年です. 1917年には、ロシアで帝政がたおされ(10月大革命)、1921年には、日本はシベリアに出兵して、西側では最後まで居残って、戦争を仕掛けていた時代です.(この事実は、元航空幕僚長は、現職時代に無視したか、知らなかったし、その幕僚長を防衛大臣(当時.現農林水産大臣)は黙認したのです)
世界有数のミレー美術館をもつ日本は、ミレーから何を学んだのでしょうか?
おそらく、「京城から北京へ兵を送れ」と指導した福沢諭吉先生の教えをより重視して、中国とロシアは同じと理解したのでしょうか? その考え方は、1万円札の肖像に、2009年現在も残っています.