第12条では、「王の決定だけでは戦争協力金などの名目で税金を集めることができない」と定めている.
残っている前文は、「国王は臣下の忠言によって、以下の条文を承諾する」という内容であり、これは、国王がかってに法律を作ることを禁じたものである.
由来: ジョン王がフランスとの戦いに敗れてフランス内の領地を失ったにもかかわらず新たに戦を仕掛けて再び敗戦したために、1215年5月5日に貴族の怒りが爆発した.貴族側はジョン王の廃位を求めて結託し、ロンドン市が同調する事態になるとほとんどの貴族と国民は反ジョンでまとまってしまった.当時はこのように臣民の信頼を失った王は自ら退位するか処刑されるしかなく、その後新たな王が立てられるのが通常であった. (以上 wikipedia から)
民主党は、2006年12月18日「党の基本方針」として「政策マグナカルタ」を発表しました.
最初にあるのは、「『日本(ニッポン)国教育基本法』の制定」(注)で、結果として自・公の教育基本法の改定に協力した形となりました.
「ニッポン」が大々的に使われだしたのは、1931年から! 日本軍国主義が対中侵略戦争を本格化させた年からです!
菊池寛が雑誌「モダン日本」を発刊したのは、1930年5月でした. このときは「モダン日本(にほん)」と、刊行のことばで、かながふられていました.
なぜ、民主党の「基本方針」が「マグナカルタ」なのか?
よくわかりませんが、民主党は、「外国の歴史を勉強することも重要」と考えているのか、あるいは、カタカナを使えばよいことがあると考えているのかも知れません.
なお、民主党には「選挙公約」を「マニフェスト」という表現も使用していたようですが、もっとも有名なマニフェストは、1848年の「共産党宣言」で、世紀を超えて変わることのない、確固とした理念と立場を表しています. 選挙ごとに、「確固とした理念と立場が変わるのは、政党としてどうか」という意見もあります.