NHK ニュース 2010年8月24日
「両陛下 思い出の場所でテニス」:
「天皇皇后両陛下は、24日から軽井沢を訪れ、出会った思い出のコートでテニスを楽しまれました」とのこと。 「二人は、32年8月にはじめて出会ったコートで、テニスをされた」
現天皇の父・昭和天皇は、1945年8月15日のラジオ放送で、ポツダム宣言の受託を国民および国際社会に通知しました。
その中で「ここに国体を護持し得て・・・」と「天皇制維持の希望」を出し、それが「皇室利用による対日間接支配の米政策」と一致したため、戦争責任追及をまぬがれ、天皇制維持に成功しました。
一方、「戦争の放棄と武力不保持」が憲法九条で確定されました。
憲法上の天皇の位置の見通しができたと思われる1946年4月に、昭和天皇は皇太子(現天皇)の教育係りとして、小泉信三を指名しました(小泉信三「ジョオジ五世伝と帝室論」)。
小泉信三は「東宮御教育常時参与」として、週1回、渋谷常盤松の東宮仮御所にかようことになりました(同)。
小泉信三は、1933年から1947年まで、慶応義塾・塾長でしたが、その大先輩・福沢諭吉の「帝室論」を、皇太子(現天皇)の教材のひとつにしました。
福沢諭吉は、「帝室論」で、以下のように書いています(福沢諭吉全集・第5巻)。
◆「立君の政治」(天皇制)は、「人主(為政者)が愚民を篭絡するの一欺術」という人がいるが、それは政治を知らない者のいうことである(と反論すればよい)
昭和天皇も、福沢諭吉も「天皇制」の本質をよく知っていたというべきで、「天皇制があるからこそ、メシが食べれれる」ことを知っていたのです。
天皇・皇后が、軽井沢のテニスコートではじめて会ったころ、天皇(当時の皇太子)は、教育係からこのような教育を受けていたのです。
実にレベルの高い教育であったというべきです。
同時に、NHKなどメディアは、「皇室利用による対日間接支配」に迎合し、「対米従属に協力」の立場を貫いてきましたが、これもまた、放送法違反ではあっても「レベルの高い国民教育」であるといえます。
こう見てくると、①福沢諭吉の「愚民を篭絡するの一欺術」は、②米国、③皇室、④与党・多数党、 ⑤NHKなどメディアの一貫した「一欺術」であることがわかります。
また、その「欺術」は、1945年までの「治安維持法」、1952年・1960年の「密約付き日米安保条約」など、暴力を伴っていることも特徴です。
その暴力には、NHKなどの「与党・多数党中心、対立する少数党の軽視・排除」の放送法違反も含まれます。
「視聴者の会」は、これらすべての暴力に反対し、「政治的に公平な放送」の実現を通じて、政治のゆがみをただすことを目指します。
「視聴者の会」携帯サイト http://9-net.info