ヤスクニ神社は、一部の者たちが国民を戦争に出してメシを食べる仕組み
福沢諭吉は「馬鹿と片輪に宗教、ちょうどよき取り合わせ」(靖国神社ができたころ 1881年 全集第20巻)と書いている。
「A級戦犯が合祀されていて、分祀はできない」とか・・・
戦争の国内の犠牲者310万人は、合祀されてはいないらしい
千鳥ケ淵戦没者墓苑 ─ 安置戦没者数は348,406名とか
日本が加害して命を奪った2000万人以上のアジアの人たちは安置されていないらしい
ましてや、ヒトラーと同盟して日本がおこなった第2次大戦
その数千万人の犠牲者は、忘れられている
これでは、ヤスクニであっても、千鳥ケ淵であっても
戦争の犠牲者に、ふたたび戦争をしないことを誓うことはできない
この状況は、「憲法九条」をなきものにしたいという希望の現われというべきか?