砂川事件・伊達判決(駐留米軍違憲)をくつがえすため、米大使が最高裁長官に圧力
1958年 | 10月 | 日米安保改定交渉開始 |
1959年 | 3月30日 | 伊達(だて)判決: 米軍駐留は違憲 |
3月31日 | 米大使が藤山外相に閣議前の秘密会談を申し入れ | |
4月1日 | 米大使が藤山外相に最高裁への跳躍上告を進言 | |
4月3日 | 検察側が最高裁へ跳躍上告 | |
4月24日 | 同大使が最高裁長官との密談を米国務長官に電報で報告 | |
6月 | 核密約合意成立 | |
7月21日 | NHK国内番組基準制定 | |
12月16日 | 最高裁・駐留米軍合憲で差し戻し | |
1960年 | 1月 6日 | 核密約(討議記録)合意 |
1月19日 | 日米安保条約調印 |
米側が行政府ばかりか最高裁にまで干渉の手をのばしていた。
最高裁長・田中耕太郎裁判官は弁護人とは会わず、米大使と密談していた(きわまった対米従属)。
NHK番組基準は、1959年7月21日制定。報道番組の基準(同第2章第5項)で「政治的公平・論点の多角的明確化」(放送法)除外のため、米側はどのような手を用いたのだろうか? 現時点では解明されていない。 (つづく)