なぜ、「視聴者の会」が必要なのか?
それは、なぜ民主主義が必要なのかと同じ質問です。
民主主義がなかった時代、1945年まで、日本は明治以降、領土拡張競争に加わり、
「自存自衛」の名前で台湾・朝鮮半島を植民地化し、中国・東南アジア諸国を侵略しました。
国民主権・侵略戦争反対をつらぬいた人たち、たとえば日本共産党員であった小林多喜二は、国が弾圧し、虐殺しました(1933年)。
戦争に引き込まれた国民も310万人の被害を受けましたが、アジアで2000万、ヨーロッパでは数千万の犠牲の加害者の側にも立ったのです。
憲法とこの歴史を否定する人がいます ─ たとえば航空幕僚長・田母神氏(当時)!
田母神氏は、イラクでの航空自衛隊の活動が違憲であるとの裁判の判断に対して、「そんなの関係ねー」といって、憲法上の司法制度を否定しました(2008年4月18日)。
戦力を持つ実力組織の幹部が、憲法を否定したのです。
防衛大臣(石破茂氏)は黙認し、総理大臣(福田康夫氏)は容認しました。
総理大臣、防衛大臣、航空幕僚長が憲法を否定する、これが現実の政治です。
このような憲法無視の政治の結果が、財政・年金の危機化です。
このような政治は、なぜ可能なのか?
民主主義をゆがめる仕組みがあるからです。
それは、「小選挙区制」と「報道のゆがみ」です。
戦後冷戦激化の中、米国は「国益の軍事力による追求政策」に舵をきり、対日政策を形の上の独立・再軍備・米軍基地の無期使用・改憲強要に変換させました。
1952年のサンフランシスコ条約は、平行して密約的に締結された(旧)日米安保条約とともに、その政策の一環でした。
米国は、法体系としては、サ条約・日米安保、その維持のため、皇室・報道利用、赤狩りと陰謀による硬軟合わせた手段をとりました。
日本の大手メディアが、本社社屋に国有地を利用して経営の中心で権力と結びついていること、官房機密費で現場も取り込まれていることなども、その政策の成果です。
ドイツでは、戦争の反省として戦後ナチスの旗や歌は禁じられています。
日本では、日本軍国主義の旗と歌が、国旗・国歌として残っています。
最近NHKは、たとえば「おはようニッポン」のように、1932年以降日本軍国主義が愛用した「ニッポン」という読み方を多用しはじめています。
このNHKが、番組終了後に「君が代」の連日放送を開始したのは、1952年4月28日でした。
当時、憲法も放送法も存在し、「君が代」に対する賛否・好き嫌いの対立する立場もあったのですが、憲法も放送法も無視した連日放送が開始されたのです。
この流れは、報道の与党・多数党偏重として現在でもNHKをはじめ民放テレビでも日常化されています。
この流れが、小選挙区制とともに、政治のゆがみのもととなり、財政・年金危機化の主要原因となっています。
生活は、民主主義を確立・強化しなければ悪化するばかりです。
ここに、「視聴者の会」が必要な理由があります。