「横綱の気品」の「気品」は、いつから問題にされたのか?
1898年(明治31年)からである!
少年のころ「日本一の大金持ちになりたい」といった福沢諭吉(福翁自伝)、
その「福翁自伝」で、諭吉が書いている!
「私の生涯の中(うち)に出来(でか)してみたいと思うところは、全国男女の気品を次第次第に高尚に導いて真実文明の名に恥ずかしくないようにすること」
皇権・領土拡張を説き、「日清戦争」の報道で読者を拡大して、少年時代の夢を果たした諭吉
その説くところの「気品」とは、以下のようなものであった
(⇒ 「福沢諭吉は、何を教えたか?」)
「横綱の気品」を説く人たちは、このことを知っているのだろうか?
「気品」を説く人たちの「気品」は、どこにあるのだろうか?