朝青龍が、白鳳を星一つリードしたとき、「ここまできたのは、素直に評価できるが、まだ内容からいって白鳳が有利」
これが、日本人専門家の判断・予想だ.
「専門家」だから、「朝青龍の優勝はないとは、いわない」
場所前では、3日目か5日目で引退と判断・予想していた
その誤りは、「素直に」認めたが、認めなかったことがある
それは、判断に主観がはいっていて、
その主観に誤りがあったということだ
勝負は、一般に、以下の要素で決定されると言われている
技術、身体能力、気力、研究・練習、調整、経験、運 ・・・
これに、「専門家」は、独自の判断基準を持ち込む
主観的な「横綱の品格」と「好き・キライ」だ
キライな力士は「品格がないからキライ、負けたらいい」
こんな主観が、無意識にあるのではないか?
それは、「日本の文化と伝統」
「自己中心基準のせまい視点・島国視点」ではないのか?
「横綱の品格」が何かを明らかにして、
横綱昇進の前に候補に知らせない
「休場中にサッカーをするのが、品格に関わる」のなら、
ほかの条件とともに、事前にいっておくべきだ
スポーツであれば、ルールをはっきりさせなければならない
「ファン・サービスと自主トレは禁止」明文化すれば、よい
それを、相手には知らせない自分のルールで、非難する
「自己中心基準のせまい視点・島国視点」なのではないか?
放送においては、放送法がルールを決めている
ルールを守ろう! あるいは、守ってもらおう!