多数党に有利な「選挙制度・大手メディアの報道」が、世論・選挙・政治をゆがめている!
NHK受信料はその「ゆがみ」に貢献している! (最高裁は、それを否定していない)
政治の民主化を!
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2010年10月3日日曜日
自然を聖書は、どう理解しているか? 創世記から 2
「初めに神は天と地を創造された」(創世記 1:1)
これは、人間が文字を得てから自然・宇宙の起源に関する最初の体系的な理解の記述ではないだろうか?
この理解は、広い意味では古代エジプト、ギリシャ、ローマ、中世の時代を経て、コペルニクス、ガリレオ、ニュートン、ダーウィン、マルクス、エンゲルス、アインシュタインの流れの中で、さまざまな形で実証され、深められ、21世紀の現在につづいている。
その中で、「歴史は、世界精神の実現」(ヘーゲル)という理解があり、それは「逆立ちしている」(マルクス、エンゲルス)と指摘された。 フランス革命と同時代、1870年代の後半のことであった。
「頭で立つ(逆立ち)」か、「足で立つか」は、「物質と精神」を対立したものと理解するのか、統一されたものとして理解するのかの違いである。
「物質と精神」を対立したものとして理解すると、物質も精神もともに人間の意識の外にあることを認めることになり、「精神は、意識の外にある」との矛盾を抱えてしまう。
この矛盾が指摘されたのは、フランス革命の時代・資本主義の初期の時代である。
21世紀初頭の資本主義は、その最後の時代・電子金融システムによるカジノ資本主義の時代にはいった。
その仕組みは、「精神は、人間の意識の外にある」との理解では、理解することができない。