- 核持ち込み密約(共同通信.⇒参考1)
- 年金「支払うのは2、30年先だから使ってしまえ!」(戦費調達が目的だった1943年の厚生年金前身の考えが戦後から継続されている─ これが制度の基本精神だった.⇒参考2)
参考1:【核持ち込み密約、外務次官ら管理首相、外相の一部に伝達 共同5/31】 1960年の日米安全保障条約改定に際し、核兵器を積んだ米軍の艦船や航空機の日本立ち寄りを黙認することで合意した「核持ち込み」に関する密約は、外務事務次官ら外務省の中枢官僚が引き継いで管理し、官僚側の判断で橋本龍太郎氏、小渕恵三氏ら一部の首相、外相だけに伝えていたことが31日分かった。 4人の次官経験者が共同通信に明らかにした。 政府は一貫して「密約はない」と主張しており、密約が組織的に管理され、一部の首相、外相も認識していたと当事者の次官経験者が認めたのは初めて。政府の長年の説明を覆す事実で、真相の説明が迫られそうだ。 次官経験者によると、核の「持ち込み(イントロダクション)」について、米側は安保改定時、陸上配備のみに該当し、核を積んだ艦船や航空機が日本の港や飛行場に入る場合は、日米間の「事前協議」が必要な「持ち込み」に相当しないとの解釈を採用。当時の岸信介政権中枢も黙認した。 しかし改定後に登場した池田勇人内閣は核搭載艦船の寄港も「持ち込み」に当たり、条約で定めた「事前協議」の対象になると国会で答弁した。 密約がほごになると懸念した当時のライシャワー駐日大使は63年4月、大平正芳外相(後に首相)と会談し「核を積んだ艦船と飛行機の立ち寄りは『持ち込み』でない」との解釈の確認を要求。大平氏は初めて密約の存在を知り、了承した。こうした経緯や解釈は日本語の内部文書に明記され、外務省の北米局と条約局(現国際法局)で管理されてきたという。
参考2: 年金を払うのは先のことだから、今のうち、
どんどん使ってしまっても構わない・・・
・・・早いうちに使ってしまった方が得をする・・・
・・・将来みんなに支払う時に金が払えなくなったら、
賦課金にしてしまえばいい・・・
これは、厚生年金保険法作成に携わった
戦前厚生年金保険課長だった花澤武夫氏が、
昭和61年に厚生省の外郭団体が主催した座談会で話した内容です。
「厚生年金保険制度回顧録」 (http://www.office-onoduka.com/mag2/005_20070304.html から引用)