「公平な放送をしないメディアは潰れるべき 」
(署名サイトに署名した学生さんのコメントから)
サイト「公平な放送を!」管理人のコメントは、以下のとおり:
「メディア」=「コンテンツ」+「伝達手段」
コンテンツが世論をつくる.
コンテンツの作り手には、経営側と現場側がある.
経営側は、「利権や利潤、すなわち自分にとっての『利』」を求める.
そのため、与党・多数党重視、スポンサー重視、少数党・少数意見軽視・無視となる.
戦前の伝統も残っている.
メディアは、明治以来「土地・資源・労働力・文化財を奪え」の宣伝をした.
福沢諭吉は、自分が社主の新聞「時事新報」でメディアの手本を見せた.
軍備拡張、東アジア蔑視、領土・資源・労働力・文化財略奪を宣伝した.
日清戦争では、戦争報道で「時事新報」の発行部数を伸ばして、大もうけをした.
1885年[長男一太郎への手紙」(福沢諭吉全集第8巻)から
日清戦争で、日本は台湾を植民地とした.
諭吉は、自分を「政府の影のお師匠様(全集第20巻)」と言っていた.
「(朝鮮から)『ネライは北京』(1882年「喉笛に喰付け」全集第8巻)」
といって侵略をあおり立てた. 日清戦争(1894-1895)・日露戦争(1904-1905)を導いていたのだ.
そして、1931年の中国東北部での軍部の謀略を許した.
それをきっかけに、日本は対中15年侵略戦争に進んだ.
さらにナチスと同盟して、太平洋戦争に進み、1945年を迎えた.
日本で310万、アジアで2000万、全世界で数1000万人の犠牲の加害者になったのだ.
加害者となった国民は、
国のため、国民の命と財産を守るため、自存自衛の口実にダマサレた.
「国のために死ねば、靖国にまつられる」が宣伝だった.
7歳のひばりに、「九段の母」を歌わせたのだった.
http://hibari-yukichi.blogspot.com/2009/03/1943.html
諭吉は、靖国神社ができたころ次のようにいっていた.
「バカと片輪に宗教、ちょうど良き取り合わせ(全集第20巻)」
こうもいっている(1894年全集第5巻).
「立君の政治(天皇制)は、「人主(為政者)が愚民を篭絡するの一欺術」
「国民は、愚民だ.彼らからカネ(搾取)と命(徴兵)を奪え!
死んだ者とその家族のためには、靖国神社を用意しているではないか!
安心して死になさい. そのかわりにメシを食べる人たちはメシを食べてあげるから」
その諭吉は、2009年10月現在、最高額面紙幣の肖像として、毎日拝まれている!
旧野党の党首は、憲法を無視して、議員在職のまま宗教活動をおこなう.
憲法の軽視・無視さらには敵視が、年金・財政の危機化をもたらせている.
靖国参拝は、信教の自由の範囲だ. 議員を辞めてからの参拝は何の問題もない.
議員を辞めないのは、そこに利権があるからではないか?
死者を悼むのであれば、利権はあきらめて、心から悼むのがスジではないか?
吉田茂・戦争中の外務官僚が、戦後の首相となる.
岸信介・戦犯容疑者が、従属的対米軍事同盟を継続させる.
その弟・佐藤栄作が、国民ダマシの「核密約」を結び、ノーベル平和賞をだまし取る.
彼らの孫までが、その祖父から引き継いだ戦前の考え・やり方を継続させる.
その究極の結果が、あの戦争の反省から生まれた憲法9条、それを変えようというのだ.
9条は、天皇制維持との交換条件だったとの見方もある.
「天皇制を残して、9条を変える? ダマシではないか」という論点もある.
しかし、そんな小さなことではない.
9条は歴史が手にいれた大切な宝である.
ガリレオの地動説、それはギリシャの哲学に起源を持ち、アインシュタインにつながった.
9条は、戦争のない世界につながる第1歩だ. 人類はその道を進みつつある.
それを利権のために、自分がメシを食べるために変える.
それは、諭吉と同じ立場ではないか?
日本人は150年たっても学ばないのか?
島国の観点、それは「坂の上の雲」につながり、今NHKがドラマ化しようとしている!
そのNHKが、与党・多数党偏重、少数党・少数意見を軽視・排除するのだ.
みずから放送法を破り、経営の基礎を壊そうとする.
コンテンツを作る経営側が、利権にしがみつき、メシを食べようとする.
コンテンツを作る現場側と、視聴者が協力して、利権集団にサヨナラしよう!