「114年前に韓国でおきた皇后暗殺事件」は、日本による朝鮮半島植民地支配での一事件であり、東アジアおよび世界史の上で正確に記録されなければならない事件です.
それは、中南米諸国の主要言語がスペイン語・ポルトガル語であることの起源がスペイン・ポルトガルによる中南米の植民地支配と不可分であること、米国の人口の約10%が黒人であることの起源がアフリカからのドレイ貿易であったことなどと同様に、消し去ること・虚偽であるとすることのできない歴史のできごとです.
それでは、なぜその報道が「虚偽報道ではないか」との意見があるのか?
それには、そう考えさせる日本の歴史教育の問題もあるでしょうが、そのような視聴者の状況の中での放送のあり方にも一定の原因があると考えられます.
上記の意見は、以下の点を上げています.
- 事実関係の検証がなされていない
- 歴史的裏付けがない
- 日本の専門家の意見がない
- 韓国の専門家の意見だけが取り上げられていた
- 証言者はただ一人だけ
- 残された証拠も後に本人が作ったもので、それが過去に実在したかどうかの証明がない
- 番組の報道は、虚偽報道である
同様に視聴する側にも「批判」の自由があります.
問題は、それらが「放送法」の範囲かどうかです.「虚偽報道」「放送法違反」の主張には、主張する側の具体的な根拠を示すことが必要です.
同様に、放送する側にも、事実にもとづいた、視聴者にわかりやすい放送が求められます.加害者側の正当化の立場からの歴史教育が長年おこなわれている環境では、とくにそれが必要です.
この問題は、国際社会の問題であり、将来にわたって、平和で豊かな国際社会を構築するためには、1つの番組で解決できる問題ではなく、より深く、広い内容の「歴史の検証」が必要だと思います.
今回の意見を参考に、よりよい番組が作成されることを希望します.同時に、日韓双方での検証放送の試みがなされることもよいことだと思います.
また、「虚偽報道」との指摘がある場合には、局側はその意見あるいは反対意見をも客観的に対比させた「検証番組」を放送することもあってよいと思います.
このサイトでは、「真実」の放送、「政治的に公平な放送」がとのように実現されるかを考えます.それは、放送する側・放送を受ける側の自由な意見の交流の中で生まれるものだと思います.